頭の整理~newsdiet中~

思い、考えた事、善悪とかの感情はなしに。

文字で伝わらない時代だからこそ、文学に戻る

|ω・`)ノ ヤァ、マックです。

今年からは小説などの読み物を始めました。

 

理由は特にないですが、

ふとしようと思っただけです。

 

なぜこれまで読み物を全然しなかったのか?

ラノベ、ビジネス、生活実用は読んでるけどね。

 

きっかけは小学生の国語の授業!

その頃の僕は、図書委員になるほど、

本を読むって事は好きな子供でした。

 

とはいえ、今思い出すと(思え出せないけどw)

何を読んでいたんだか?まだは思い出せないけど、

とりあえず、本を読むのは隙でした。

 

問題の国語の授業です。

「作者の気持ちを答えなさい!」

って、よくある質問ですが、

なぜか答えが一つしかありません。

 

国語の授業なので仕方がないかもしれないけれど、

幼心には、無理やり答えを強要された気分で、

周りの友達と呼べるやつらも、

それでいいの?

色々な感想や思いがあるはず!って思っていた僕には

とてもショックな出来事でした(´・ω・`)

 

国語の授業では文面から、

察するみたいな感じらしいですが、

作者は書いている最中に、

そんなに思いを込めて文脈構成まで

ち密に計算して書いていたのだろうか?

 

その頃の僕は、

仮死を経験していたり、

ひまわり学級の子達にからまれたり、

いじめをしたり、いじめをされたりと、

色々な経験をしていたので、

 

死生観や多様性への理解をある程度していたので、

みんな一緒は算数ならいいけれど、

歴史や国語のような文系科目には、

個々に意見があるもんじゃないか?と思っていたので。

 

自分の中になんで?って思うようになりました。

 

例えば国語の接続詞の問題でも、

あれ?これもはまるんじゃないか?と楽しんでいたけど、

暗記科目になっていて、

文脈からそれを選ぶより、

そう書いてあったから、その通り答えない。

 

その接続詞一つで可能性は広がるのになーとか思っていたので、

じょじょに国語、文字を読むが嫌いになりました。

 

その結果、

大好きだった知らない漢字を学ぶや

色々な本を読んで空想や妄想をするをやめるきっかけになりました。

 

学校のテストで

もしかすると人の可能性は刈られているのかもしれません。

 

なんといっても、

なんで作者と近い仲でもない他人が、

人の気持ちを理解できるんだ?!ってのが不可解でした。

 

そこから人に関心を持ったのもあり、

自分の命題の一つ、

「人を理解する」が生まれたわけです。

 

ついでに歴史に関しても、

人間全員がまじめで、

文献すべてが改ざんされずに、

起きた事を明確に記したのか?

考古学者というロマン好きによって

歪曲されていないのか?

 

人の想像は、

その人の経験した枠内でしか発想できないので、

証拠になる物がない限りは信じない子にもなりましたw

なんてひねくれている!って思われるかもしれませんが。

 

人は嘘をつく生き物だし、

欲に忠実なのです。

 

なので自分は実験的に、

裏表がない人間はどう見られるのか?を試しました。

 

結果は、

変人

何考えているかわからない

などなど、ネガティブな言葉をかけられてきました。

 

シンプルであれって思う私が理解したのは、

大多数の人は、

他人を信じる心より

疑う心の方が育ちやすく、根強くなっているんだと。

 

それがどんどんエスカレートして、

現代の身内にさえ仮面をかぶっている、

仮面家族って小説を発表しようかと思うわけです。

かけたらねw

 

元妻の家庭がまさにそれで、

自分の親がくると良い子ぶるのを見て、

え?どうゆうこと?

自分の親にさえフェイクですか?

ってのはさすがに気持ちが悪かったです。

 

とはいえ、

現代の子供も似たようなもんで、

どうすれば親を操れるかを

幼少期に掌握していて、あまり可愛くないですね。

 

なので純粋な子供をたまに見るとホットします。

 

家庭からサイコパス製造が当たり前に起きているわけです。

習い事で頭でっかちにはなるけれど、

心が育つ機会を大人達が刈ってしまうので。

 

モラルやマナーなんてものも育つわけもなく、

身内も簡単に殺せるようになるのです。

余談ですが現代の日本で起きている殺人事件のトップは

身内相手です。

 

一緒に住んでいて、

メリット、デメリット

使える、使えないで判断する距離感なようです。

 

なので海外の軍役は、

あながち間違いではないのかもしれません。

現代の心の弱さを補うためには。

 

と、話を戻して、

なぜ日本文学を読むのか?について

現代人の会話の語彙力の低さ、そこにつきると思います。

 

現在、自分は40歳ですが、

色々な職場で色々な世代と会話をしてきて、

ここ20年くらい言葉の通じない相手が多かった、

ってのが印象的だったからかもしれません。

 

自分の表現が悪いのかもしれませんけど、

言葉を理解、そして想像のできない人が多くない?

学歴あってもこれなの?ってな感じで、

圧倒的に受け身でアウトプットが足りていない

なんて思うわけです。

 

それともう一点、

歴史は繰り返す、

それは姿かたちを変えて。

ってどこかで見かけたので、

現在のコロナから人はどう行動するか?

について、

戦前戦後らへんの文学を読めば、

ある程度予測できるのでは?とも思ったわけです。

 

とはいえ、

飼いならされた現代人に、

クーデターを起こさせるには?

かなりの労力を使った、

お膳立てが必要なので、

それなら巻き込まずにやる方が楽です。

 

結果的に

コードギアスのルルーシュ役に

ならざるをえないのかもしれない

 

悪を演じて、

人をまとめる、

理解できる人は少数だと思うけど、

世界規模と言わずとも、

自分の目の周りの世界を変えるには

そんな覚悟が必要なんだと思います。

 

それともう一点。

人を理解するには、

影響を与える書物からってのもいいかと。

 

何から人は影響を受けるのか?

そしてどういった事案で人はそれを定着、停止してしまうのか?

 

再度言うけれど、

人を理解するにはどうアプローチすればいいのか?

そこに至る理由は簡単で、

現代人はなぜ他人を物差しではかり、

信用を金や物で買うのか?

そして自己中になり、孤独を選ぶのか?

本当の孤独をなめている人が耐えられないのに。

 

マンションや町内の隣人がよくわからない、

と、よく聞くけど、

コミュニケーションをなぜしないのか?

そして憶測で他人を決めつける。

 

その憶測は99%当たらないのに。

 

という、

できないわからないは、

行動しない人の言い訳なので、

そんな面倒な生き方よく続けられるなぁ( ゚ ρ ゚ )ボー

と思う今日この頃です。

 

とはいえ、

文学はある種のカルティックな要素、

作者の負の部分が無意識にはいりこむので、

程々に。

 

余談やけど、

僕は中二病である事はいい事だと思うのよ、

なんせ想像力と現実と仮想のギャップ認識を養えるので、

とはいえ、諸刃の思考だけどねw

 

理解するってのは、

行動して初めてわかるって、

当たり前だけど大人になると

人は忘れてしまうものです。

 

記憶に関しての忘れは多々あるけれど、

大人と子供、童心や遊び心を忘れると、

人は人でなくなるのかもしれません。

 

そやね、遊びこころやゆとりを学ぶ機会がないんだね

現代っ子は、、